炭治郎がヒノカミ神楽の呼吸を初めて使ったのは、鬼滅の刃第40話。
下弦の伍・累の攻撃で絶対絶命の状況に陥ったときに、呼吸を水の呼吸からヒノカミ神楽の呼吸に変えました。

炭治郎は炭十郎からヒノカミ神楽を継承していました。
しかしこのヒノカミ神楽は後に始まりの呼吸の剣士である縁壱の日の呼吸ということが判明します!

なぜ炭十郎は日の呼吸をヒノカミ神楽と名称まで変えて継承していたのでしょうか?

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日の呼吸をヒノカミ神楽として継承していたのはなぜ?

父親の炭十郎から耳飾りとヒノカミ神楽を継承した炭治郎。
しかしあくまで父親の炭十郎はヒノカミ神楽の舞を炭治郎に継承していました。

炭治郎が日の呼吸と呼んで、日の呼吸の技を放つのは無限城の最終局面で無惨と戦った時から。


ではなぜ日の呼吸の型をわざわざヒノカミ神楽の舞に変えて、継承したのでしょうか?

これは主に二つ理由があったと思われます。

日の呼吸の型を知る人物は殺されていた

日の呼吸の剣士であった縁壱。
縁壱は鬼狩りとなった後は呼吸法のことを誰にでも教えていました。

そのため縁壱が使う日の呼吸の型も知っている者は多かったのではないかと思われます。


その日の呼吸の型を知る人物を無惨と黒死牟は殺して回っていました。。

無惨は縁壱と一度戦っています。
そのときに日の呼吸の技であと一歩のところまで追い込まれています。




縁壱のような人物が出ることを怖れたため

日の呼吸の型を知る人物を狙いました。


黒死牟は無惨とは少し理由が違い

縁壱への嫉妬のため

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ですね。


無惨と黒死牟はそういった理由で日の呼吸の型を知る人物のことを殺して回っていました。

無惨と黒死牟の手から逃れるために、日の呼吸からヒノカミ神楽に名称を変えて、以後継承していったのではないかと思われます。


日の呼吸は歴史から消されていた

日の呼吸のことは長い間歴史から消えていたようですね。
柱のメンバーですらだれ一人日の呼吸とヒノカミ神楽のことを知る者はいませんでした。

そして鬼滅の刃の第53話で胡蝶しのぶは

炎の呼吸を火の呼吸と呼んではならない
呼び方については厳しい

という決まりがあることを炭治郎に教えています。


これは日の呼吸にまつわるすべてのことを無惨から隠すためだと思われます。


その後炭治郎は煉獄杏寿郎の遺言を伝えるべく煉獄家に訪れます。
煉獄家にあった歴代の炎柱の手記に日の呼吸のことが書いてあったようですね。

なぜ炎柱の手記に日の呼吸のことが書いてあったのか?

これは煉獄家と縁壱につながりがあったのではないかと思われます。
縁壱の妻と子供が鬼に殺された現場に最初に訪れたのも炎の呼吸の剣士風の男でしたからね。


さいごに

縁壱の使っていた日の呼吸はヒノカミ神楽の舞と形を変えて、現在は炭治郎に継承されています。
日の呼吸をヒノカミ神楽として継承した理由は・・・

無惨と黒死牟から守るため

現在では日の呼吸について知る者はほとんどいませんでした。


ただ現在では炭治郎は日の呼吸の名称で技を出すようになりました。

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